cosmo zero

うつつな日々のあれこれ。

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限界点。

2007/10/13 10:15
お久しぶりです。
ちゃんと生きています。

バイトをふたつこなした後、受診をしに行きました。
鎮痛剤を希望で止めてもらったくらいで処方はかわりません。
実は、結構薬の飲み忘れがあるのですが、症状は安定している感じ。
たまに、急に切りたくなったり、消えたくなったり、そんな衝動はありますけれど、なんとか自制中。
ちょっと、ハイかなって思う程度です。

それよりも、受診が終わったあと、なにを思ったのか(っていうか、単におなかがすいていたのですが)、定食屋でごはんをおかわりしてまで食べて(羞恥心はどこに行ったのか)、そのあと、電車で嘔吐感に襲われたのがつらかったです。
それよりまえから、手足が冷たくて仕方なかったのですが、どうやら1日近くほとんど寝ずに動いていたことが悪かった模様。
短時間でも睡眠は重要だと思いましたね。
睡眠時間が少ないと、いつも自分のところだけ重力が余分にかかっている気分になりますよ。


前記事にコメントいただいて、自分が病気だと診断されていることをどう思っているかを考えてみたんです。
思い出してみると、一番最初、まだ25歳の頃にはじめて診断されたとき(たぶん、そのときは不安神経症だったと思いますが)、ほっとしたんです。
自分が感じている生きづらさや不安の理由が、病気のせいだとわかったからです。でも、そのときから、リストカットがはじまったんですよね。無理しなくていい、我慢しなくていいって肯定されたような気がして(でも、働いてたから、姑息に手のひらを浅く切っていました)。
今の診断(人格障害)についてはどうかというと、複雑な気分です。
なかなか治らないって告知されたのと同じ部分もありますから。
もともとの仕事柄、専門書もなんとか理解できますから、興味本位でたまに書店で読んだりすると、ちょっと絶望的な気分になります。
自分自身、ここでは親については結構否定的なことを書いていますけれど、私が幼い頃、両親は稼ぎを増やすことに必死で、子育てに熱心になるような余裕がなかったこともわかっていますから本当は肯定している部分もかなりあって。本なんかで乳幼児期の養育がうんぬんって書いてあるのを見ると、あぁ違う悪いのは自分だって、思ったりしています。
自分のうまれつきの気質は親のせいではありませんし。
この年でコントロールできないのは、私が未熟だからだと思います。
思春期が遅くきて、そのせいで長引いているような感じもします。
そんなことは置いておくと、生きづらさがつらくてしかたないときもありますが、この不安定を愛しく思うときもあります。
もっと普通に呼吸できるように望んではいますけれど、そうなったら悩んでいた自分は消えてしまって、当然のように生きられる自分を当たり前に思って周りに目を配ることもできなくなるんじゃないかって思うんです。
たぶん、今の病んでいる自分を肯定したいのだと思います。
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